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郷土玩具

きょうどがんぐ(工芸・芸道・美術)


[郷土玩具]
[郷土玩具の生い立ち]郷土玩具という言葉が一般化したのは昭和初期のことではないかといわれるが、それまでは「大供玩具(子供玩具に対して)」「地方玩具」「土俗玩具」と呼ばれていたという。玩具の代表的なものの一つである「人形」の原型は古墳から発掘される土偶や埴輪にあるとされるが、玩具として記録に現れるのは江戸初期のころである。寛文6年(1666)の「ひな人形の故実」では“稲荷人形”の記述があり、天保2年(1682)の「好色一代男」では“張子の虎”、元禄6年(1693)の「西鶴置土産」では“今戸の土人形”に関する記述がみられる。戦乱が収まって泰平の世となった元禄時代には市や祭礼、縁日など庶民の娯楽が大いに普及し、また、信仰にかこつけた物見遊山が盛んになると人形玩具類が妻子への土産として買い求められるようになり、それぞれの地方で土や木、紙などを素材としたものが各種作られるようになった。それらはしだいに販路も拡張し、主要な生産物として藩が奨励・取扱いをするところも出現したが、明治維新による「文明開化」で欧米諸国の文化が流入すると、セルロイドやブリキ、ゴムなどを原材料とした近代的工業製品に圧され、一時は衰退したかのようであった。しかしこうした一時期が過ぎると日本古来の習俗への郷愁や懐古趣味などから再び見直されるようになった。[郷土玩具のいろいろ]各地の代表的な郷土玩具としては人形のほかに、張り子、こけし、てまり、独楽、だるま、鳩笛、鳩ぐるま、絵馬、陶鈴、はじき、凧などさまざまである。そのなかから幾つか取り上げてみた。①木彫りの熊:北海道を代表する郷土玩具で、札幌を初め函館や小樽、旭川など道内各地で作られている。大正時代に山越郡で牧場を営んでいた徳川義親が、ヨーロッパの農民が農閑期に熊の彫物を作っているのを見てこの地で勧めたのが始まりという。②木彫りの駒:青森の“八幡駒”、宮城の“木ノ下駒”、福島の“三春駒”を日本の三駒といい、馬産地として知られた江戸時代・南部藩で、馬市で売られていく愛馬の無事を祈って買われたものという。③仙台張り子:天保年間(1830~44)の創始といわれる“松川だるま”のこと。神棚に祀って無病息災・家内安全を願う信仰の対象として庶民の支持を得た。④こけし:東北各地に点在する“こけし”は、シンプルなデザインと愛らしさで全国に知られた。その姿が芥子(けし)に似ていることから「芥子(けす)坊主」「こげす」と呼ばれたのが“こけしの由来”といわれ、津軽系、南部系、木地山系、肘折系、蔵王高湯系、山形作並系、鳴子系など10種ほどに分かれるという。⑤鳩ぐるま:長野県野沢で作られる鳩ぐるまは、弘化年間(1844~48)に河野安信という人物が善光寺で売り出したのが初めだといわれるが、あけび蔓を編んで鳩を形作りし、車を取り付けた素朴な玩具である。⑥松江姉様:姉様は平安時代、貴族の間に流行した“ひいなあそび”が源流ではないかといわれるほど歴史か古い。松江のほかにも横手市の串姉こ、鶴岡姉さま、会津姉様、江戸姉様など現在も作り続けられているが、なかでも松江姉様は下級武士の婦女子の内職として伝えられてきた。⑦長崎ハタ:長崎では凧のことをハタと呼ぶ。江戸時代に東インド諸島を経由してやってきた交易船が東南アジアから持ち込んだものではないかといわれている。ハタに尾はつけないが、両端に紙の房をつけてバランスを取り、相手の揚げ糸を切って打ち落とす競技で楽しむ。⑧人吉のきじ馬:平家落人伝説もある熊本県南部、人吉盆地で作られる派手な色彩の玩具。雉を連想させる二輪の引きもので、主にハゼや朴の木を材料にし、樹皮を剥いで形を削りだし、胴の下に輪切りにした松材の車輪をつけたものである。