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日本庭園・盆栽

にほんていえん・ぼんさい(工芸・芸道・美術)


[日本庭園・盆栽]
庭園は、観賞やレクリエーションを目的に樹木を植えたり噴水や花壇を作ったり、あずまやなどを設けたりして人工的に整えたスペースのこととされるが、日本庭園には、禅や茶の湯の思想などが加味されたものも多く、西洋庭園とは異なる趣があるのが大きな特徴である。[日本庭園の歴史]わが国の“庭園”は国の事業として始められた大規模な寺院や仏像の造営が手がけられた7世紀ごろが起源とされる。その後、建築様式の変化に対応したりその時々の思想などに影響を受けながら山川の自然を取り込んだ人工的な空間として設けられてきた。①飛鳥時代:朝鮮半島の百済の影響を受けた庭造りで、方形の池を中心とした祭祀施設を兼ねていたと思われる。なかでも、庭園の中ほどに設けられた“須弥山石”はその後の日本庭園で重要なモチーフである石組みや築山などへと発展していった。②奈良時代:710年に遷都した平城京が唐の長安を模したものであることからもわかるように、この時代の庭園は今日の日本庭園の様式である屈曲した自然形状の護岸と自然石を組み合わせた池庭である。③平安時代:中国の陰陽五行思想から発生した自然の摂理を読み解く“風水説”などの影響を受けたが、当時の“寝殿造建築”に対応した様式で造園された。曲がりくねった流れが池に注ぎ、池に造られた中の島には橋を架けて涼感が演出された。④鎌倉・室町時代:武家文化が開花した時代ではあるが、造園は前時代の様式を受け継いだものが多かった。その傍ら、臨済宗を我が国にもたらした渡来僧“蘭渓道隆”の禅の教えにちなむ「龍門瀑」から滝の造形が加わった。また、建築様式が“書院造”に変わったことに伴い、庭園の様式も回遊して鑑賞するものへと発展していった。⑤安土桃山時代:この時代には“茶の文化”が発生したことから、茶の作法や思想に従った“露地”と呼ばれる庭が成立した。飛び石、灯篭、蹲(つくばい)などで構成される小空間での凝縮されたデザインの庭である。ここではじめて日本庭園が山里の風景をモチーフとしたものになった。⑥江戸時代:社会が安定したことから地方文化が栄え、「小石川後楽園」や金沢の「兼六園」、「桂離宮庭園」、「修学院離宮庭園」などが各地で造られた。また、こうした庭園には“借景”と呼ばれる大規模な手法が用いられたほか、庭の一角に稲田を設けて農耕風景を取り入れたのも特徴である。⑦“庭園”という呼称について:庭園は明治になってから使われだした言葉であり、それまでは、掘った大きな池の中に中の島を造ったことから「シマ」、建物の周辺に草花や潅木を植えたことから「前栽」と呼ばれ、庭園の要素によっては「山水」「林泉」「泉水」「泉石」「仮山」「築山」「坪」「露地」と呼ばれてきた。[盆栽]起源は中国・唐時代だと考えられているが、則天武后の子の墓に、草木のほかに石を置いた植木鉢を捧げ持つ女官が書かれた壁画が見られるという。これは、実際の植物や石を使って鉢の上に山水図を表現するという盆栽の原型のようなものが7世紀ごろに生まれていたということを意味している。我が国に盆栽が伝えられたのはそれより後の平安末期ごろであったのではないかと考えられている。鎌倉から室町時代にかけては東山文化と共に貴族に愛好されるようになり、江戸時代には権力者だけでなく庶民にも愛されるようになり園芸文化が花開いた。盆栽を樹種を基準に分類すると一年中葉をつけている常緑針葉樹の「松柏盆栽」とそれ以外の「雑木盆栽」に大別できる。松柏盆栽には松のほかに杉や真柏、桧などがあり、「五葉の松」はその代表的な樹種である。一方、雑木盆栽にはモミジやツツジなどの「葉もの盆栽」、咲いた花を愛でる「花もの盆栽」、梅もどきやピラカンサなどが人気の「実もの盆栽」の三つに分けられる。このほか、近年は山野草や高山植物をあしらった「草もの盆栽」や「小品盆栽」が盛んな傾向にあるといわれている。