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蕎麦

そば(日本食)


[蕎麦]
蕎麦は日本食の中でも特に大衆食として古くから人気があり、手軽に素早く摂ることのできる昼食と言えば必ず名が挙がるほど身近であった。しかし近年、ラーメンなど他の麺類の種類も増え、また吉野家の牛丼が破格の値段でサービスを行うなど、蕎麦の地位は脅かされ、従来のサービスでは値段的にも折り合わなくなってしまったらしい。蕎麦は値段的にも決して格安ではなくなったし、現在の昼食の代名詞は「ラーメン」であろう。大衆食の代名詞であった「蕎麦」は、店で提供されて目の前にある状態はよく知られていても、日常的過ぎる食品のためか、意外と背景は知られていないように思う。蕎麦好きは依然として大勢いることだろうが、蕎麦アレルギーで食することのできない人も増えている昨今である。蕎麦の薀蓄を述べるより、大衆的な知識・情報を集約し、雑学として紹介してゆこうと思う。
[蕎麦の起源]  我が国では縄文時代にはすでに「蕎麦」という植物が存在し、焼きもちや雑炊、すいとんなどに食材として使われていたらしいといわれるが、2006年の新華社の記事によれば、蕎麦の起源は中国西南地域とチベット高原にあることが、中国とドイツの科学者による研究で明らかになったという。中国では世界最古とされる4000年前の麺が発掘されて世界の麺の発祥地とする見方が有力であることから、麺類としての蕎麦もやはり中国伝来ということになるのかもしれない。蕎麦の起源の研究は10数年をかけて進められ、中国内陸部で170種以上を栽培、野生種を採集して分析した。その結果、日本蕎麦などの原料となる「あまそば」は中国西南部、実が小粒でやや苦味がある「にがそば」はチベット高原東部地域がそれぞれ起源の地であることが分かったという。温暖な中国西南部と寒冷なチベット高原という異なる気候に適応した結果、2種類の蕎麦が形成されたとして、現在の蕎麦の祖先にあたるものなど3つの新種も発見。蕎麦の遺伝学的な研究が大きく進展したという。研究の成果は国際的な植物学研究誌にも掲載された。この蕎麦が我が国では一体いつごろから麺となったのか。1574年、長野県木曽郡大桑村にある定勝寺の古文書に「ソバ切りを振る舞った」という記事があるのが1992年に発見され、これがソバ切りの記録上の初見となったとされている。蕎麦はタンパク質の含量が多く、栄養学的にも優れた食品であるばかりでなく、野趣に富んだ独特の風味もあって日本人の食の好みに適していたことも普及に大いに力があったと推察される。
[蕎麦はやはり信州蕎麦か]  作付面積で言えば北海道が国内第一位で、続いて福島、青森、新潟、長野となるが、10a当たりの収穫量で比較すると、鹿児島、熊本、宮崎と南国・九州各県が占め、寒冷地各県の2倍近い収穫を得ている。蕎麦は寒冷で痩せた土地でもよく育つと言われているが、植物であることを考えればやはり温暖な土地での栽培が優位なのかもしれない。それではなぜ「信州蕎麦」なのか。気候や土壌に恵まれた土地とはいえない信濃の地でも、育成期間が短い蕎麦は比較的栽培も容易であったことが一因として挙げられる。善光寺参りで全国各地からの人々の往来によって優秀なそば職人が育ち、善光寺信仰の広がりとともに国中に「信濃のそば」が伝わったからではないか、と推測される。その結果、更級・埴科・戸隠・開田などがそばの産地としてよく知られるようになり、なかでも更級や戸隠は蕎麦の冠詞や代名詞のように使われるようになった。
[年越し蕎麦]  大晦日に1年の締めくくりに食べる年越し蕎麦の風習が広まったのは、江戸時代中ごろではないかというが、根拠については諸説がある。定番の『細く長く生きる』説を初め、『そばが切れやすいことから、1年の苦労を切り捨てようとして食べる』説、『風雨に打たれても日光に当たればすぐに立ち直る植物であることにあやかる』という説がある。さらに『九州・博多の承天寺で年末を越せない町人に「世直しそば」と称してそば餅を振る舞ったところ、その翌年から町人たちに運が向いてきた』という“運蕎麦説”や『金銀細工師が細工の際に飛び散った金銀の粉を掻き集める時にそば粉を使うことから、金を集める』という縁起説などさまざまである。
[蕎麦の栄養学]  米や小麦など穀類のほとんどが、精製することで栄養豊富な胚芽の部分を取り除いて胚乳部だけを食べるのに比べ、蕎麦は精製しないで全粒(むぎ実)として利用し、胚芽や種皮の一部も食用にしてしまうので栄養価が高い。なかでも、人の生命の維持や成長に欠かせないタンパク質は極めて豊富で、精白米の約9%に対して12%強と3割以上も多く含まれている。また、質的にも良質で、タンパク質を構成しているアミノ酸価でみれば、完全食品といわれる鶏卵を100とした場合、蕎麦は92とほぼ牛乳に匹敵する。しかも体内では作ることの出来ないアミノ酸、特に身体の発育に欠かすことのできないリジンやスタミナ源のアルギニンなどの必須アミノ酸が多く含まれていて成長期の子供に適した食べ物である。さらに、ビタミンB群も多く含まれていて、ビタミンB1、B2は精白米の4倍に達する。B1は体力の低下、イライラ、食欲不振の解消に効果を発揮し、B2は皮膚や粘膜を健康に保つために欠くことのできない栄養素である。
[蕎麦の薬効]  蕎麦にはいろいろな病気を予防する働きがあるという。ルチン、リノール酸、ビタミンEは血管の老化を防ぎ、高血圧の予防に効果ずあり、また、飲酒前に蕎麦を食べておくと、蕎麦の中のコリン(水溶性ビタミンの一つ)や良質の蛋白質、ビタミンEが肝臓を守る。さらに、ヘミセルロース(食物繊維)が多く含まれているのために便秘の改善にも役立つとか、腰痛や歯痛にも効果があるといわれている。
[蕎麦の美容・ダイエット効果]  ルチンを含む唯一の穀類といわれる。ルチンはビタミンPの一種で、老化によって細くなった毛細血管を強化し血圧を下げる効果がある。また、コリンは肝臓の働きを促進する効果があり、肝臓に脂肪が溜まるのを防いでくれる。さらに、茹でた蕎麦はご飯と比べて1割以上もカロリーが少ないためにダイエット食としての役割も期待できるし、豊富な食物繊維は体内で消化・吸収整腸作用という重要な役割を果たし、便通を整え腸内にあるコレステロールや有害物を水分と共に体外に排出する。
[蕎麦と言葉]  蕎麦という言葉は、外を歩けばよく目にすることができるのだが、年配者ならより身近に会話に出てくる言葉の1つではないだろうか。昨今よりも蕎麦がより身近なものであり、日本の食文化に根付いていたことが推察される。諺に多く取り入れられ、俳句にも数多く読まれているのだが、それら全てをここで紹介するのは「蕎麦で首くくる」ような話であるが、面白い諺をいくつか紹介してみることにする。
「朝とろ 夕そば」 朝はとろろ汁、夕食は蕎麦を食べるのが信州ではご馳走だったことから。
「饂飩三本 蕎麦六本]  うどんは太いので一度に3本、蕎麦は細いから6本ぐらいずつ食べるのがちょうど良いことから。
「紺屋の明後日 蕎麦屋の只今」 紺屋(こうや・こんや)は天候に左右される仕事であり、染めが遅れがちであり、催促すれば明後日出来ると答えて場をしのぎ、実際は納期を先へ延ばすのが常套手段である。蕎麦屋の出前の「只今」も同じで、あてにならないことから。
「蕎麦と坊主は田舎がよい」 蕎麦と僧侶は都から良いものが出ないことから。
「蕎麦の自慢はお里が知れる」 良い蕎麦の収穫地は冷涼で米作には適さないので、蕎麦自慢は余り自慢にはならないことから。
「蕎麦屋の酒」 老舗蕎麦屋は上酒を置いていた伝統があり、今も継承されていることから。
また蕎麦は俳諧にもよく登場するので、名句かどうかは二の次として、著名な俳人の句を紹介することにする。
「名月や先づ蓋とってそばを嗅ぐ 芭蕉」
「そばはまた花でもてなす山家かな 芭蕉」
「我里は月と仏とおらがそば 一茶」
「故郷や酒はあしくも蕎麦の花 蕉村」
蕎麦を食する場面を描いた俳句が少なく、蕎麦の風情を大切にしたものが多いことに気付かされる。蕎麦の花は、蕎麦の独特の風味からは想像もできないほど繊細で儚げで可憐である。皆さんご存知だろうか?
[蕎麦三題]  1.店名に「○○庵」とつけるのが多いのは、『江戸時代、蕎麦好きのある寺の住職が打った蕎麦が評判になり、それを売り出すことになった際に店名として「○○庵」という寺の名をそのまま使ったことから。』  2.「二八蕎麦」は、『江戸時代に蕎麦が一杯十六文とされていたことから、2×8=16で「二八蕎麦」と呼んだという。ちなみに、寛政の改革の時に一杯十四文に値下げされたときには「二七蕎麦」といったという。また、蕎麦を打つ際に、つなぎとして蕎麦粉8に対して饂飩粉を2の割合で混ぜたことから、という説もある。』
3.「三つ箸半」は『江戸っ子の蕎麦の食べ方を言ったもので、ざるに盛られた蕎麦を箸で取ってそばつゆに3分の1だけ浸し、それを一口で食べる。こうして三回半で食べ終わるのを粋とした。』ということからつけられた。

総論
「蕎麦」と「うどん」は何かにつけて対比されてきた。江戸では蕎麦が粋とされてきた背景もあって、そば派が多数を占め、大して上方(関西)では「うどん派」が多数を占めるようだが、これにも社会的背景があったと考えられている。「江戸患い」と呼ばれた脚気にはビタミンB1を多く含む蕎麦が好まれた、というより必要であった。しかし、夕方早くに蕎麦屋で蕎麦を割り箸で手繰(たぐ)り、蕎麦を肴に酒を飲む…というような俗物趣向も江戸では横行していたようだ。落語の「時そば」「時うどん」の対比も有名である。しかし、そのような土地柄を気にせず双方を食することができる、江戸・上方に属さない土地にいる人は幸いである。どちらでも良いではないか、というのはそれぞれの愛好家にとっては突っ込みの的のようなものだが、どの土地にいてもその時の旨いものを食することができれば幸せであろう。最近紙面を賑わせている、汚染米のような汚染蕎麦が登場しないことを願う昨今である。