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奇術

きじゅつ(演劇・演芸)


[奇術]
「奇術(きじゅつ)」と言うと、何か得体の知れない錬金術系の響きを持つが、手品やマジック(Magic)と言えば馴染みやすいだろう。奇術は、現在広く知られるマジックと同義であり、その起源はとても古く、今から4000年以上前の、紀元前から存在したとも言われている。マジックが「魔術」の意味を有するように、奇術は元来、魔術の成功を導くための手段として行われていたという。海外での奇術はさておき、西洋奇術(マジック)に対し、日本で発展した伝統奇術である「和妻(わづま)」の歴史を追ってみたい。

日本の奇術の起源は、卑弥呼の頃の縄文時代まで遡り、支配者が民衆を統率する上で必要とされた能力の一つ、預言・呪術といった「鬼道(きどう)」と呼ばれる類の原始呪術に始まるとも言われる。民衆に顕示し畏怖の念を呼び起こす特殊な力を有し、それを操ることが指導者の権威の証と信じられた。また5世紀始めには朝鮮・新羅から薬が伝来すると共に「薬師(くすし)」が誕生し、薬物と呪術を併用する「呪禁道(じゅごんどう)」が起こり、薬の効能を患者に信じ込ませるべく呪術が行われた。そのような時代を経て、奈良時代の6世紀頃、唐から仏教伝来とともに日本に移入された「散楽(さんがく)」が、芸能としての奇術の直接的な起源と言われており、能・狂言などと同じ流れを汲んでいる。「日本舞踊-猿楽」「日本舞踊-神楽」の項を参照していただけると詳細が解るかと思うが、散楽は「新しい遊戯」という意味のチベット語「サンロー」が語源とされ、その起源は、古代ギリシャ・古代ローマ・アレクサンドリア・アジア西域の文化が数世紀を経て中国に伝わり、発展してきたものとされる。中国では「百戯」とも呼ばれるように、物真似・曲芸・歌・踊・呪術・奇術など多種多様な芸の集合体であり、宮廷芸能の雅楽に対し、俗楽の意味を持つ民間芸能であったという。そのうち奇術として扱われたものは「口から火を吹く術」「手を使わず縄をほどく術」「刀を呑む術」など、現在の大道芸に近い内容であったようだ。散楽は平安時代には解体し、各々の芸が独立して発展してゆくこととなり、即物的な驚きを提供する奇術などは、寺社の配下となった呪師(じゅし・すし・のろんじ)により、祭儀の余興(法楽)として猿楽の前座で披露され、「呪術(じゅじゅつ)」「呪師」と呼ばれた。平安時代中期には寺社を離れて大衆芸能となり、仏教の法から外れた術である外法(げほう)を意味する「外術・下術(げじゅつ)」と呼ばれて蔑視されたが、室町時代に入ると「幻術(げんじゅつ)」「幻戯(めくらまし)」などと呼ばれ、呪文を唱えて人の目を幻惑するため、欧米のキリシタン妖術と混同されて「妖術使い」「魔法使い」などと同様のものと見なされ、桃山時代には禁令も出されたようだ。しかし田楽専門職であった田楽法師が、田楽を離れて辻で芸能を披露する「放下僧(ほうかそう)」となり、外術の一部を「放下(ほうか)」の名で一般に広め、諸国を放浪しながら大道芸として披露した。安部晴明などで知られる「陰陽師(おんみょうし)」の術も奇術の原理を用いていたと言われ、また真似して放下芸を行う人々も出て「放下師(ほうかし)」と呼ばれるようになった。安土桃山時代の、ちょうど出雲の阿国が歌舞伎踊りを四条河原で始めた頃、同じく京都・四条河原の小屋掛けの見世物として披露した、「滝川伝之丞」が奇術を興行した最初の芸人と言われている。
日本の奇術が最盛期となるのは江戸時代からであり、「手品(てしな)」「手妻(てづま)」「品玉(しなだま)」などと呼ばれるようになる。その語源は、しなやかな手で巧みな手捌きをする熟練技で、手を変え品を変え芸を披露するから「手品」、稲妻(いなづま)の如き手捌きの早業であることから「手妻」、などと名付けられたという。明治時代以降は「和妻(わづま)」とも呼ばれ、日本の伝統的奇術である「和妻」に対し、西洋奇術のスタイルを「洋妻(ようづま)」と呼ぶようにもなった。柳川一蝶斎・塩屋長次郎・橘右近らが舞台で活躍し、塩屋長次郎は世界に先駆けて「ブラック・アート」(イリュージョン)を完成させた人物であるとされる。同時代に完成した和妻の中で、水芸・胡蝶の舞などの演目は傑作として現在まで継承されている。四条河原の歌舞伎舞台で演じられて以来、和妻は大衆娯楽として人気を博し始め、主都を中心に数多く興行が行われ、解説書が出版されるなど一般社会に流行し、浸透していった。1696年に刊行された「神仙戯術」が日本最古の奇術書であるとされ、「ひょうたんが独りでに動く術」「作り物の魚を水中に泳がせる術」などが紹介されているという。この他に「珍術さんげ袋」「続懺悔袋」「和国たはふれ草」など、多くの奇術書が出版されて身近な道具を使う奇術(クロースアップマジック)が紹介され、「唐土秘事海(もろこしひじのうみ)」「仙術日待種(せんじゅつひまちぐさ)」などでは大規模な術(ステージマジック)が紹介されている。江戸中期になると手練技を解説した専門書、いわゆる奇術解説書も刊行され、「座敷芸比翼品玉」「秘事百撰」「放下筌」「天狗通」などが現在でも有名である。
江戸時代に人気を博した一番の要因は「寄席」ができたことであり、寄席の建物の中で演じられることで、芸(芸能)の1つとして認められ、寄席で見た観衆が素人芸としてお座敷で演じるようになり、更に普及していったとされる。多彩な品々を空中で回す品玉や、茶わん・扇子などから水が噴き出す水芸、紙で作った蝶を生きているかのように舞わせる芸など、入手しやすい品々を用いた奇術が多く、場所をとらずにできることなどから、素人でも始め易く、真似し易かったのだろうと思われる。

明治時代の文明開化により、西洋から新たに伝来したマジック(洋妻)は日本の奇術界に大きな影響を与えた。その頃、「松旭斎天一(しょうきょくさいてんいち)」が登場し、それまで手先の芸(手妻・手品)であったものを、大仕掛けのイリュージョン(大魔術)を披露して世間を沸かせ、「奇術の始祖」とも呼ばれるようになった。人間大砲のような大仕掛けのみならず、寄席の色物扱いであった和妻を、奇術だけで構成するショーに発展させて興行形態を確立した。奇術の人気を高め、そのイメージを広げ、一般大衆に広く認知させたという成果は大きく、当時奇術一本で2ヶ月に渡る公演をやり遂げたという。松旭斎天一は大スターの座に就き、歌舞伎を上回る人気を博し、日本での大成功を足掛かりに欧米での巡業を行ったのだが、日本芸能において初の海外巡業であったという。
明治時代末期、奇術界の「中興の祖」と言えば「松旭斎天洋(しょうきょくさいてんよう)」で、天一一座で活躍し、舞台上のみならず奇術界全体を盛り上げるべく努力した人である。日本奇術協会を創設し、マジックグッズを扱う流通組織「テンヨー」を日本で初めて作り、プロとアマチュアの接点を広げたり、初代・引田天功、島田晴夫など優秀な弟子を育てたり、奇術の発展・組織の連携を拡大することに尽力した。次に登場するのが「奇術界の女王」の異名を持つ「松旭斎天勝(しょうきょくさいてんかつ)」で、天一一座の「華」となり大活躍し、ニセモノ天勝が横行し、天勝グッズがヒット商品となるほどの国民的人気を得た。彼女は奇術をショーとして演出し、日本で初めてラインダンスを披露し、美貌と西洋マジック風の露出の多い衣装に身を包んだ容姿で観衆を魅了した。海外で大成した女性マジシャンはあまり知られていないが、天勝の成功があってか、日本では女性マジシャンも男性と肩を並べて活躍しており、最近では「2代目・引田天功(プリンセステンコー)」が海外でも活躍しており、有名である。
明治時代には、歌舞伎・人形浄瑠璃(文楽)なども大変な人気で、その舞台に奇術的な原理を用いたものも多く見られ、奇術舞台からの影響も大きいと見られている。その後、松旭斎天一の一門を始めとする多くの奇術師が「西洋奇術」で人気を博したため、西洋奇術のコピーに傾倒し始め、日本古来の和妻は衰退してゆき、現在、和妻は奇術の中でも「手妻師」と呼ばれる者しか演じない、特殊なものとなってしまった。
昭和期の戦前までは華々しいステージマジックが主流であり、同好会も数多く設立されたが、戦後になると、小野坂東や高木重朗らの尽力で、海外のクロースアップ・マジックに関する情報が多く移入され、日本で急激に発展した。優秀なアマチュア愛好家・沢浩や厚川昌男などが世界に通じる奇術を創案して活躍するなど、奇術愛好家、いわゆるアマチュアマジシャンの人口が増加し、全国各地で多くの同好会が活動している。マジック界のオリンピックとも言われる世界大会「FISM(Federation Internationaledes Societes Magiques)」や「IBM(International Brotherhood of Magicians)」「S.A.M.(Society of American Magicians)」などで入賞するなど、世界で活躍するマジシャン(奇術師)も多くなり、石田天海・島田晴夫・峯村健二などが知られている。日本にも「JCMA(Japan Close-Up Magicians Association)」「日本奇術協会」「S.A.M.ジャパン(S.A.M.の日本支部)」などが存在し、プロ・アマの交流の場として活動している。1970年代に初代・引田天功などがステージマジックで活躍した流れから超魔術ブームとなり、2000年代はクロースアップ・マジックのブームを巻き起こした。そんな中、1997年には「和妻」が「選択無形文化財」の認定を受け、古来より家元制をとり師から弟子へと主に口伝で継承してきた伝統奇術も、成文化されなかった作法・所作などを含め、存続・保護の道を歩んでいる。

奇術の日本での歴史に触れてみたが、明治以降は洋妻(西洋奇術)が主流となり、日本古来の和妻の歴史においては特筆すべきことがほとんど無い。本項「奇術」には和妻・洋妻の両方が含まれるが、伝統芸能としての和妻を主眼として、述べてゆこうと思う。
世界的に見ても特異と言われる和妻の最大の特徴は、手妻の名の通り手先の技術の上に簡単な仕掛けを利用し、囃子・口上に合わせて芝居のように演出される点と、奇術舞台の華麗な様式美や格調高い表現にあるという。トリック・アイデアを主体とし、人間の錯覚や思い込みを利用して「意外性」を見せる西洋奇術(洋妻)とは異なり、和妻独特の静寂・緊張感の中で、流れるような日本の伝統的作法や所作を土台として演出される和妻は、派手さは無いが雅な、不思議な優美さを創り出している。以下、和妻の演目を紹介したいと思う。

「胡蝶の舞(こちょうのまい)」  和妻の代表格とも言える演目であり、世界的に見ても完成度が高いと言われ、蝶の一生を背景にした一連の奇術は幻想的で、絵巻物語のようであるという。紙片から創り出された蝶に扇で風を送ると、風の中で蝶が生きているかのように舞い踊り、番(つがい)になり、死を迎え、最後は紙吹雪が千、万の命と化して舞う(千羽胡蝶)というもの。日本最古の奇術書「神仙戯術」でも紹介されており、和妻成立の初期から存在し、初代・柳川一蝶斎が「胡蝶の舞」として完成させたとされる。

「柱抜き(はしらぬき)」  両手の親指同士を紐(コヨリ)や針金などで完全に縛るが、なぜか柱を貫通して柱を両手の間に入れてしまう。さらにまた外したりする。現代演じられる「サムタイ(Thumb Tie)」と同様のもので、松旭斎天一の演技が好評だったため「テンイチのサムタイ」として海外でも知られているのだが、明治時代に海外から伝わったものであり、古典和妻ではないとの説もある。

「水芸(みずげい)」  「噴水術」「水からくり」とも呼ばれている古典和妻の代表格の1つであり、江戸時代には既に演じられ、寄席の出し物としても扱われるなど古くから存在した。演者の体や小道具(扇子・茶碗・袖)などから水がが噴出し、最新の噴水と同様、声・音・演技などに合わせて水が飛び出す演目。大正・昭和期に活躍した松旭斎天勝の水芸が特に有名である。客席に届く勢いで水を噴出し、水が掛かった人は縁起が良いとも言われている。

「袖玉子(そでたまご)」  着物の袖の形をした空の袋から、玉子が次々と出てきたり、消えたりするという古典マジック「エッグ・バッグ」の日本版とも言われるもの。使用される品が日常的で、仕組みが単純な故に不思議で、日本的で優雅な奇術であり、主に女性によって演じられたようだ。

「お椀と玉(おわんとたま)」  欧米で「cup and ball」と呼ばれ、起源は紀元前まで遡るという世界最古の奇術の1つであり、日本のお椀と玉は、仏教伝来とともに中国から移入されたと考えられている。大体3つのお椀・お手玉を使う演目で、お椀を巧みに返しながら玉を隠すのだが、消失・出現・移動が起こり、最後は大きな玉が現れるというもの。

「ヒョコ」  和妻の傑作として名が挙げられる演目で、紙でできた様々な人形が独りでに動くというもの。古典奇術書「仙術夜半楽」に取り上げられ、絹糸の一方に針をつけ、針を畳に刺し、もう一方は、演者の耳・髪に留めておき、この張られた糸には紙のヒヨコ以外にも盃・扇子・クモなどを引っ掛け、頭を前後左右に動かして人形を踊らせる仕組みである。

「連理の紙(れんりのかみ)」  1枚の紙を12片に切り分けたはずが、一瞬にして御幣の形につながり、再度バラバラにしても、また一連につながるというもの。つながった紙を分裂させ、それを紙吹雪に変化させる演出もある。

「扇子玉子(せんすたまご)」  エッグ・オン・ファンの日本版と考えられる演目で、「神仙戯術」でも解説されているため歴史的には古いと思われる。紙屑などを扇子の上に乗せて、上に弾ませているうちに大きくなってゆき、最後は卵に変化するもの。最後に卵を割って中身が本物であることを示す演出が加わる。

「釜抜け(かまぬけ)」  「続たはふれ草」に掲載されている和妻で、現在の脱出マジックや、人が箱から消えるマジックと同じ原理とされる。子供を釜に入れて鍵をして風呂敷で包むが、開けてみると子供は釜の中から消失し、同じことを再び繰り返すと出現するというもの。葛篭(つづら)抜けや箱抜けなどのバリエーションもある。

「紙うどん(かみうどん)」  一枚の白い紙に火をつけ、燃え上がって炎が手まで来たら火を吹き消し、手に握って揉んで空中に投げ上げると蜘蛛の糸状の細い紙テープに変化する。紙テープを集めて空の丼に入れ、上から水を注いでかき混ぜると、紙テープは「うどん」になるので、食べて見せ、本物のうどんであることを示すという演目。

以上、代表的な和妻を挙げてみたが、これ以外にも、日本奇術(和妻)の最盛期であった江戸時代には様々な演目があり、日本的な所作・作法による独特の演出と様式美で、海外移入の演目でも日本発祥と思われているほど完成度が高く、格調高い魅力を持つものも多く存在した。昭和期以降、継承者問題で紙面を騒がせたこともあったが、伝統芸能として無形文化財の指定を受け、家元制を止め、若手マジシャンでも和妻を志せるような環境に現在は変わってきている。

次に、奇術の分類について触れ、奇術における和妻の位置付けを探ってゆこうと思う。奇術は多彩な演目があり、その分類方法も多彩にある。どこで・どんな状況で披露するか、観客の人数や距離による分類が、一般的に利用されているようだ。他にも使われる道具・奇術の方法・演出・起こった現象などによる分類があるようだが、いずれも海外の分類方法の移入であるようだ。よってここではメジャーな分類方法である、観客との距離や披露される状況による分類を以下に述べ、先に進めたいと思う。

「クロースアップマジック」  10人位までの小人数の観客を相手に目の前で奇術を披露するもの。テーブルを前にして演じることが多いため、テーブルマジックという言い方が日本では一般的。カードマジックやコインマジックはクロースアップマジックとして演じられることが多い。身の回りの品物(煙草・輪ゴム・紙幣)を道具として用い、観客の選んだトランプを当てたり、観客の指輪を消して果物の中から取り出すなど、観客を参加させて魅了する演出も多くある。

「ステージマジック」  大勢の観客を前にして舞台上で奇術を披露するもの。特に大規模なものはイリュージョンマジック、大魔術などと呼ばれている。昔から「ハト出し」の演目が有名で、他のプロダクション(出現・産出)としてはウサギ・ヒヨコなどもある。次に有名なのが「ミリオンカード」と呼ばれるトランプを増殖させるカードマジックで、スライハンドマジック(手練奇術)の中でも特に高度な技巧を要する。宝石・トランプ・人間など様々な物体の出現・消失や、人体の切断、爆発など危険な状態からの脱出など、派手な演出が多い。サーカスの演目の1つとして演じられたりするので、見る機会も多い。

「サロンマジック」  パーラーマジックとも呼ばれる前述の2者の中間的な奇術で、ステージマジックで行われるような派手な演出を間近で見ることができ、観客が参加できる演目も多い。路上などで演じられる「ストリートマジック」やレストラン・パーティー会場などでテーブルを巡回してマジックを披露する「テーブル・ホッピング」などがある。TVメディアを通じて見せる派手な演出は、これに該当する。デパートなどの手品グッズ売り場で実演販売を見るのが最も手軽と思われるが、マジックバーなど、奇術を専門的にショーとして見せる場も都市部には存在する。また寄席の色物として奇術師が毎日のように出演しているので、確実に奇術を目にすることが出来るだろう。

前述のいずれにしても、奇術愛好グループ(アマチュア)が定期的に発表会・交流会などを開催しているので、これらに参加すると最新の奇術演目を見ることができるだろうし、ホテルなどでのイベントとして、プロのショーが催されることも多い。またアマチュア・プロ双方ともが参加できるコンテストなども毎年行われている。

ここで、奇術界の特異な部分について特に触れてみたい。というのも、「演者」起こす奇跡は「観客」があってこそであり、端的に言ってしまえば、どのような内容であれ観客を驚かすような物事を演出すれば良いのである。しかし、奇術の実用新案の期限が切れたものや、量販されている手品グッズを使ったもの、また誰でも簡単に見抜けるようなものなどを、あえてタネ明かしをしたり、ギャグとして用いる奇術師も出てきた。メディアが発達した今日では、一般の書店でタネ本(タネ明かし)が購入できるし、ネットなどで簡単に手品のタネ明かしを暴露されるような環境にあり、一昔前の娯楽であった奇術、特にクロースアップマジックに関しては位置付けがかなり変わってきているように思う。
現在でも無論、タネ明かしは奇術界では重大なタブーであり、訴訟に近い問題も起きている。無用にタネ明かししてしまっては、奇術を見る楽しみが半減してしまうというものであり、これを商売にしている奇術師も見受けられるのは情けない状況である。

また余り知られていないが、1990年、社団法人日本奇術協会によって、奇術の呪文のような掛け声「ワン、ツー、スリー」に因み、12月3日は「奇術の日」と制定された。同協会により、奇術の日には毎年記念公演など何かしらイベントが行われているようなので、奇術に興味のある方は、協会に問い合わせるかサイトを覗いてみると良いだろう。

最後に、著名な奇術師(マジシャン)を紹介して終わろうと思う。マジック界のスーパースターとも言われたデビッド・カッパーフィールド(David Copperfield)氏をご存知だろうか。ジャンルを超えた稀有のエンターティナーとしても評価が高く、近年も来日公演がたまに行われているが、何と言ってもマジックにおけるギネス記録を11個も認定されているという記録の多さは圧巻である。ステージマジックとして演出される派手なマジックが有名で、自由の女神を消したり、万里の長城をすり抜けたりするマジックなどはテレビを通じて特に有名である。日本人としては、Mr.マリック、プリンセス・テンコーなどTVメディアで活躍しているマジシャンが特に有名であり、近年ではアメリカのマジシャン・セロ師がストリートマジックで日本で一躍有名となっている。
一方、和妻師について少し触れたいが、TVメディアでの活躍が少ないこともあり、一般的に有名な和妻師と言っても、名前が挙がらないであろう。島田晴夫氏や上口龍生氏などが、海外でも活躍しており評価が高いのだが、日本であまり知られていないのは残念なことである。

 総論
奇術はとにかく、演目も多ければジャンルもそれだけ多く、その割に一般的体系が公表されておらず、図書館とwebサイト上を東奔西走し、やっと総論まで辿り着いた…というのが率直な感想である。奇術という伝統芸能と言い難いジャンルであるが故か、またネタが重要な芸能であり素性や素顔を見せ難い芸である故か、奇術界全体を広く見据えた芸能解説・解釈など、一般に公開されたものが少なく、本当に見つけ出すのに苦労した。タネ明かしをするつもりは毛頭無いのだが、一般的知識として得たい事柄に対する答えもほとんど見つからず、謎?が多いのである。
逆に言うなら、江戸時代に人気を博し、それ故に演目解説が多く出回った「和妻」の世界は、謎か無くなってしまったからこそ廃れてしまったのかもしれない。タネ明かしはタブーとしつつも、古いネタがどんどん明かされ、新たに創造されたマジックのみが注目されてしまうような伝統芸能では存続が危ぶまれる。奇術はタネがあり、トリックがあるが故に奇術なのであって、超能力ではないのだから、興行として、素直に芸の演出を鑑賞すれば十分楽しいのである。マジシャン各々による舞台様式・演出・技巧・演技・話術の妙などが相まって1つの世界を表出しているのだから、どのマジシャンの技術が凄いかを見極めるのが観衆の役割ではないのである。奇術は、子供も大人も、老若男女問わず一緒に驚き、騙され、最後に拍手を送るというような…単純に楽しめるような娯楽の世界であり続けて欲しいものである。



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