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念仏踊り

ねんぶつおどり(日本舞踊)


[念仏踊り]
念仏踊り(ねんぶつおどり)と聞いて、日本史に登場する「踊念仏(おどりねんぶつ)」と当たりがつけば、大体どのようなものか想像できるかも知れない。何も思い当たらなくとも、字面から念仏を唱えて踊る類と見当は付くだろうが、日本舞踊上の念仏踊りというジャンルは、踊念仏ではないらしい。数少ないながら「念仏踊り」は現存するので、成立までの背景や現在までの流れを本筋としつつ、念仏行がどのようにして芸能に昇華したのかという辺りを探ってゆこうと思う。

現在、一般に言われる念仏踊りとは、仏を讃え喜びを表す信仰表現として、神に奉納していた感謝の踊りに念仏を盛り込み、それが芸能化したものであるが、芸能の「念仏踊り」としての明確な枠組みは未だ定着していないようだ。大塚民俗学会編「日本民俗事典」の解釈によると、「踊念仏は仏教儀礼として、念仏・和讃を詠いながら霊の鎮魂や鎮送のために踊るものであるから、これを芸能または娯楽のためにすると、念仏踊となる。しかし現今は、民俗芸能と称して大念仏・六斎念仏・盆踊などを、すべて念仏踊に入れている」という。現存のものは、念仏踊りと名が付くものの概して念仏は唱えられず、内容的には雨乞踊・豊年踊・花笠踊など、どちらかというと田楽や風流を思わせる。まず曖昧になっている境界線を探ってみる。

宗教上、集団で繰り返し踊るという行為を遡ってみると、平安時代、比叡山で行われていた「常行念仏(じょうぎょうねんぶつ)」が歴史上最初に登場する。これは比叡山施設の1つである常行堂内で、僧侶らが念仏を唱えながら阿弥陀仏の周囲をぐるぐる行道する修行であった。この念仏行を京都の街中に初めて持ち込んだのが、平安時代中期の僧で踊念仏(おどりねんぶつ)の開祖といわれる「空也(くうや)」である。空也が踊っていたという史実はないのだが、鉢を叩きながら一般庶民に念仏を教える馴染みやすいスタイルは、後の踊念仏の源流であると考えられている。空也は市聖(いちのひじり)、阿弥陀聖とも呼ばれ、社会事業を行いながら幅広い層に念仏行を広めた功績者として名高く、彼の踊念仏は、京都・六波羅蜜寺や空也堂に、「念仏聖(ねんぶつひじり)」の先駆となった門弟や「鉦たたき」「鉢叩き」と呼ばれた芸能者により、全国に広められていった。

次の流れとして、平安時代末期に天台宗の僧侶である聖応大師・良忍が起こした「融通念仏(ゆうづうねんぶつ)」がある。座行と、立行の2通りのスタイルがあったが、立行は集団で調子を合わせて念仏行を行うもので、その姿は後の踊念仏に近いスタイルといえるだろう。集まって一緒に念仏を唱えた人々の効験は、互いに享受されるという「1人の念仏が万人の念仏に通じる」思想に基づき、これより念仏を大勢で一緒に唱えることが徐々に重要視されるようになり、また集団行道が踊りに発展する契機になったと考えられている。口称念仏(称名念仏)の最初の流れを作り、熊野・高野を主な根拠地としていた遊行聖(高野聖など)らにより一般民衆に伝播され、民間の間で次第に風流化していったと考えられている。

次に鎌倉時代になり、時宗の開祖・一遍による「踊念仏(おどりねんぶつ)」がようやく登場する。遊行上人、捨聖(すてひじり)とも呼ばれ、市聖・空也を師として信濃国伴野(長野県佐久市)で踊念仏を起こし、和歌・和讃による解りやすい教化と、信不信・浄不浄を問わない念仏勧進を行いながら日本全国を巡行し踊念仏を広めた。普及の最大の要因は一遍本人が遊行念仏を行ったことにあるが、踊念仏の救済観も普及要因の1つだと考えられている。死者の供養だけでなく、現世に生きる人々を救済するという思想、現世の自分たちが救われることで死者もまた救われるという思想に発展させた。このことが踊念仏への参加を促進し、更に念仏行の芸能化を推し進める契機になったと考えられている。広く一般に認知されたことにより、村落共同体での「念仏講」などの類の母体を獲得し、全国各地に普及・定着していった。この段階では、念仏を唱える本人が踊るスタイルであり、歴史的に長く踊念仏が行われた寺社は七条道場金光寺・四条道場金蓮寺・霊山正法寺・大津荘厳寺などの時宗寺院で、時宗の寺僧が踊念仏(空也念仏)を行い、四条坊門極楽寺にある空也像の前では毎日踊念仏が行われた。現在、踊念仏・念仏踊りの多くは盆を中心に行われているが、京では彼岸に行われることが多かったようだ。

踊念仏が風流化して念仏踊りに近づくにつれ、華美な服装・仮面・持物などとなり表出し、念仏和讃から恋歌・叙景歌・数え歌などに変わり、太鼓のみが他の楽器類よりも目立つようになり、一般に念仏踊りと言えば太鼓を打ちながら勇壮に跳ねる太鼓踊りを主体とするものが連想されるまでになった。また融通念仏からの流れを汲み大勢集まった人の数だけ功徳が得られ、誰でも参加できる参加性の高さが残された。こうした風柳化の始まりは、田楽と踊念仏の結合が平安末期に行われたことによるという説もあり、平安末期当時の宗教色の濃い今様の法文歌を白拍子が舞い歌ったりしたことから念仏踊への道が開かれたともいわれる。越中五箇山(現・富山県南砺市)の「コキリコ踊」や越後黒姫村女谷(現・新潟県柏崎市)の「綾子舞」などにこの段階の念仏踊がみられ、いずれも国指定重要無形民俗文化財になっている。

現在、京都の六斎念仏(ろくさいねんぶつ)が国指定重要無形民俗文化財にもなっており特に有名である。国指定文化財のうち民俗芸能・風流の登録には全部で33件挙げられており、そのうち念仏踊りの名称が付けられたものは片手で数えるほどしかないのだが、念仏踊り系の民俗芸能は全国各地に数多く確認できる。まず、念仏踊りのルーツとして最初に挙げられる「滝宮念仏踊」に触れ、現存の念仏踊りの姿を各々から追ってみることにする。

「滝宮の念仏踊(たきみやのねんぶつおどり)」 香川県綾川町の11地区に伝わる「雨乞い踊り」であり、その起源は、菅原道真が886~889年の4年間、讃岐国司を勤めた時に大旱魃に見舞われ、道真公が身命を捧げて雨乞い祈願を行ったところ大雨が降り、農民が滝宮神社の前で道真公に感謝し喜んで躍ったのが今に残る。「念仏踊り」となったのは、1207年に浄土宗開祖・法然上人が宗教上の争いから讃岐に流された際、この踊りを見て「念仏」を唱えるように教え、現在の振り付けになり、千年以上も住民に守り継がれている。 毎年8月25日に、滝宮神社と近接の滝宮八幡宮で奉納されており、大団扇を持った下知が飛び跳ね舞うもので、全国に残る念仏踊りの源流として有名である。国の重要無形民俗文化財に指定されている。

「京都の六斎念仏(きょうとのろくさいねんぶつ)」 京都府京都市内の15ヶ所に伝わる「念仏踊」で、古風で素朴な干菜系六斎と芸能化し娯楽性をもった空也系六斎の2系統があり、いずれも能楽・歌舞伎系の芸能なども多く取り入れながら発達してきたものである。仏教における月6回の斎日(8・14・15・23・29・30日)は、悪鬼が出て人命を奪う不吉な日なので、身を慎み、仏の功徳を修し、鬼神に回向し、悪行から遠離し、善心を発起すべき日として念仏・和讃などを唱え、鉦・太鼓などで囃す念仏踊りが催される。空也が広めた民衆教化の宗教行事であったとされ、8月に多く催されるが、12月に六波羅蜜寺で行われる念仏踊りは「空也踊躍念仏 (くうやようやくねんぶつ)」と呼ばれ、京に疫病が流行した際、空也が救済を願って始めた念仏といわれている。六斎念仏は他県も含め、全国に約30カ所あるといわれるが、京都市内の壬生寺、吉祥院天満宮、桂地蔵、南区上久世などが特に有名である。国の重要無形民俗文化財に指定されている。

「平戸のジャンガラ(ひらどのじゃんがら)」 は長崎県平戸市市内の9地区に、戦国時代以前から伝承していると考えられている念仏踊で、起源は定かではないが、祖先供養・五穀豊穣祈願の踊りとして継承され、近世には平戸藩の手厚い保護を受け、現在は毎年8月14~18日に市内各所で奉納されている。構成は各地区ごとに若干の違いがあるが、中心となる踊と太鼓が青少年により演じられるのは共通している。「ジャンガラ」という名称は、鉦と太鼓の音から定着したものといわれ、他県にも同じ呼称が多く見られる。念仏踊りの地域的特色を示すものとしても重要とされ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

「久多の花笠踊(くたのはながさおどり)」 京都府京都市左京区久多地区に伝わる念仏風流系の「花笠踊」で、8月24日に近い日曜日の夜、催される。起源は明らかではないが、室町小歌と呼ばれる中世に流行した歌謡の流れを汲み、また大正末期まで少年が頭に灯篭を灯した花笠を乗せて踊る「灯籠踊」だったことから、中世に流行した風流踊の様子をうかがわせる。また上と下の組が互いに踊りを競い、一方の踊りに対し、呼応する踊りをもう一方が直ぐに踊り返すという、中世の風流踊の掛踊(かけおどり)の様子もしのばせている。久多の花笠踊の発生が、念仏踊が風流化していく時期と、風流が更に芸能化していく時期の分岐の頃と考えられており、中世に盛んに行われた風流踊の様子とともに、芸能の変遷の過程と地域的特色を示すものとして特に重要なものと考えられている。

現存の念仏踊りの概要を幾つか記してみたが、いずれの念仏踊りも筆者にとって興味深く、日本の古典芸能というより、アフリカ大陸で見た民俗舞踊に近いものを感じる。それは芸能の当初の目的が何であったにせよ、現代に伝え継がれた念仏踊りは、現代社会にあって現代人の自分が見ると、極めてローカルで原始的なものに見える。風流というジャンルは概して奇抜で独特の格好が多いのだが、格好より「踊り」という心身の開放・激しく躍動的な動きそのものが、人間の本能的な動きに近い、原始的なものとして映るのかも知れない。念仏が風流化して唄となったというより、多くの人間が好む、より身近なものにとって代わった結果が唄になったのだと思う。完全な娯楽目的ではなく、何かを祈願・祝福するために集団で歌い踊るという多少の宗教性、またそれを共有・共感する集団意識は、自然体の人間のあり方なのかもしれないが、昨今の大人が経験することがないものである。何やら参加してみたい衝動に駆られるのは、それ故なのかも知れない。



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