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天正伊賀の乱

てんしょういがのらん


[天正伊賀の乱]
1579年、織田信長の次男で伊勢の北畠信雄は、忍者達の奇襲により伊賀侵攻の拠点・丸山城を焼き払われたため報復に出たが、山岳戦で迎え撃った伊賀勢に大敗。(第一次天正伊賀の乱)。1581年、これに激怒した織田信長は、伊賀忍者と協力関係にあった甲賀忍者の助けを借り、総大将に丹羽長秀、滝川一益ら六万の大軍により、周囲六道から伊賀に一斉攻撃、ついには最後の砦・柏原城を落とし、伊賀勢をほぼ全滅させた(第二次天正伊賀の乱)。生き残った伊賀忍者は捜索の手から逃れ、全国に散っていった。