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伏見城の戦い

ふしみじょうのたたかい


[伏見城の戦い]
1600年7月に行なわれた関ヶ原の戦いの前哨戦。西軍総大将・毛利輝元の名のもと伏見城守将・鳥居元忠に対し伏見城明渡しの命令を突きつけるが元忠は拒絶し、西軍は4万の大軍で伏見城を包囲、攻撃を開始した。城兵2千人足らずだったが奮戦し、なかなか落城せず、結局、甲賀衆に内通させるという島津義弘の策略で陥落させた。徳川家康がわずかな守備兵を伏見城に残し会津攻めに向かったのは、三成ら反家康派に挙兵させることが狙いだったとの見方が近年有力である。