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分倍河原の戦い

ぶばいがわらのたたかい


[分倍河原の戦い]
日本史上2度起きた合戦。1つは1333年、鎌倉幕府打倒の挙兵をした新田義貞は、小手指ヶ原、久米川で鎌倉幕府軍を撃破した。義貞は勢いにのり、分倍河原(現・東京都府中市)に進出し高安寺城に陣営を置き、北条勢と戦ったが惨敗。しかし三浦氏が裏切り北条勢は不利となり、新田義貞は勢いを盛り返し勝利した。そのまま義貞は鎌倉へ攻め込み、北条執権は滅び、鎌倉幕府も滅亡した。2つ目は1455年、同所において足利成氏率いる鎌倉公方勢と上杉顕房率いる(総大将は上杉房顕)関東管領勢との間で行われた合戦で、第5代鎌倉公方・足利成氏と上杉氏とその家臣団との間の不和により所領を押領する事件が頻発していた最中に起きた。関東管領・上杉憲忠は成氏に謀殺され、戦に敗れた上杉氏は常陸国小栗に逃走した。これを発端として28年にわたる享徳の乱が起きた。