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明徳の乱

めいとくのらん


[明徳の乱]
1391年、将軍・足利義満に挑発されて、山名氏清・満幸らが室町幕府に対して起こした反乱。氏清は戦死し、満幸はのちに殺され、山名氏の勢力は一時衰えた。当時、山名氏は全国66カ国のうち11カ国が守護領国で「六分一殿」と呼ばれており、国内統一を目前に控えた義満がその勢力解体を画策して起きた乱。内野合戦とも。