修正依頼



宝暦治水事件

ほうれきちすいじけん


[宝暦治水事件]
1754年、江戸時代中期、幕命による木曽三川の治水事業に絡み、改修工事にあたった薩摩藩は相次ぐ出費や、飢饉に悩む世相の深刻化など多大の犠牲を払って完成させたが、工事完成の日には薩摩藩の家老平田靱負は責任をとって自刃。薩摩藩士51名が引責自殺し33名が病死した。薩摩藩が幕府に恨みを持つ大きな原因になったと推測され、関が原と共に、その反感は幕末の討幕運動の起因になったと思われる。