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国際連盟脱退

こくさいれんめいだったい


[国際連盟脱退]
1933年、関東軍が熱河作戦に踏み切り、イギリスなどが態度を硬化、その中で国際連盟総会でリットン報告に準拠した解決案が採決された。満州国の存在を危うくするような解決案に対し日本の首席全権だった松岡洋右は抵抗、退席。斎藤首相をはじめ閣僚の大半(山本達雄、高橋是清、鳩山一郎、後藤文夫、永井柳太郎ら)、海軍、松岡自身も脱退には反対だったが、陸軍の青年将校に煽られた新聞各社は、圧倒的に脱退論を展開、世論の流れを作り、結果、斎藤内閣は御前会議で国際連盟からの脱退を決定した。