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遼陽会戦

りょうようかいせん


[遼陽会戦]
日本とロシアが満州、朝鮮半島などの権益を巡り、1904年に勃発した日露戦争における会戦。両軍の主力が初めて衝突した戦いで、陸軍大臣・クロパトキン率いるロシア軍は15万8千の兵を展開して防御網を展開し、日本軍は12万5千の兵で、計28万の兵が衝突。鴨江緑会戦と並び、日本軍にとって初めて近代陸軍を相手にした本格的会戦だった。結果は双方2万ほどの死者を出しつつも日本軍の遼陽入城に終わり、両軍が勝利宣言を行った。