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プチャーチン艦隊来航

ぷちゃーちんかんたいらいこう


[プチャーチン艦隊来航]
1854年、列強各国が植民地政策を強める中で、ペリー来航に対抗するため、皇帝ニコライ一世の命を受けたロシアのプチャーチン遣日全権使節が4隻の艦隊を率いてディアナ号に乗り、日本との外交的通商関係の確立のため長崎に再来航。プチャーチンは、数多くの苦難、粘り強い交渉の結果、遂に下田の長楽寺において、水や食料の船舶の補給地、不確定だった千島列島の国境問題の解決などを内容を盛り込んだ日露和親条約の締結に成功。1858年には再来日し、日露修好通商条約を締結。