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橘奈良麻呂の変

たちばなのならまろのらん


[橘奈良麻呂の変]
757年、橘奈良麻呂らが孝謙天皇の廃位と藤原仲麻呂の殺害を企てたとして処罰された事件。密告により発覚し、大規模な戦闘には至らなかった。奈良麻呂は仲麻呂の政治に無道が多いとして乱を企てたことを自白。当時、聖武天皇の遺詔によって立てられた道祖王が廃太子にされ、代わりに仲麻呂と親しい間柄にあった大炊王(淳仁天皇)立太子するなど仲麻呂の専横が目立っていた。この事件によって道祖王を含め多数の逮捕者が出、騒乱の主謀者として捕らえられた奈良麻呂は獄死したとされる。