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弘安の役

こうあんのえき


[弘安の役]
1281年、2度目の蒙古襲来(元寇)。文永の役同様、九州に攻め入ったが、鎌倉時代の8代執権・北条時宗が新たに異国警固番役などを設置して国防を強化していたことや元軍が二軍に分かれて襲来したこと、また何より暴風雨(神風)という天運があり、元に勝利することができた。しかし労に見合う十分な恩賞給与がなされず、次の襲来に備え国防を強化したため、御家人の不満が増大し、鎌倉幕府滅亡の最大の要因となった。