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延暦寺焼き打ち

えんりゃくじやきうち


[延暦寺焼き打ち]
1571年、織田信長が将軍足利義昭と政治的対立を起こすと、美濃・近江に広大な所領を持つ荘園領主でもあった延暦寺は義昭側についた。浅井・朝倉軍が信長軍に追われ比叡山に逃げ込んだ際にかくまうなど、反信長の政治的行動を起こした。信長は延暦寺に協力、中立、武装解除するよう通達。拒否されたのを受けて延暦寺を取り囲み、警告どうり焼き討ちした。延暦寺の堂塔はことごとく炎上し、多数の僧侶が殺害された。延暦寺は信長死後、豊臣秀吉、徳川家康などにより再興された。