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永正の政変

えいせいのせいへん


[永正の政変]
1507年、細川政元の家臣が、澄之派と澄元派二派に分裂したことを端に発し、細川澄之らが主君である細川政元を暗殺した事件。澄之は将軍足利義澄から政元の後継者として認められたが、政元の養子である細川政賢・高国等に攻められ討死。結局、細川澄元が正式に細川家の家督を相続し、将軍義澄を支えることになった。