修正依頼



異国船打払令

いこくせんうちはらいれい


[異国船打払令]
1825年、長崎港に不法侵入したイギリス軍艦フェートン号事件など、イギリス、ロシアなどの外国船の来航が増加したのに対する海防策。日本の沿岸に近づく異国船の追放を命じ、鎖国を強めた法令。欧米諸国の発展を知る渡辺崋山や高野長英ら蘭学者は、時代に相応しくないと反対したが処罰された。1842年に水野忠邦によって、薪水を与えて退去させる方針に転換されるまで続いた。アヘン戦争の結果が伝わったのが転換の理由とされています。