修正依頼



安土城築城

あずちじょうちくじょう


[安土城築城]
1576年、近江守護職六角氏の居城であった観音寺城の支城として城砦があった場所に織田信長が築城。信長の死後、明智光秀に接収され、山崎の戦いの後、織田信雄の攻撃で炎上した。五層七重の天守閣をもち豪華絢爛であったと記録されている。この築城技術が、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて近世城郭の範となったと言われている。