修正依頼



文正の政変

ぶんしょうのせいへん


[文正の政変]
1466年、将軍・足利義政は側近・伊勢貞親、季瓊真蘂らの進言で斯波家(しばけ)の家督を斯波義廉(しばよしかど)から取り上げ、斯波義敏(しばよしとし)に与えた。義廉と縁戚関係にあった山名宗全は、一色義直や土岐成頼らと共に義廉を支持した。貞親が謀反の噂を流して足利義視の追放を図ったため、義視の後見人・細川勝元は宗全と協力して近江に貞親を追放した一連の事件。政変に巻き込まれた季瓊真蘂、斯波義敏、赤松政則らも一時失脚して都を追われた。