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伊東(日向)

いとう【大名】


[伊東(日向)]
【出身地】伊豆国田方郡伊東(現・静岡県伊東市)
【本拠地】日向国飫肥
【家祖】伊東祐時
【支流・分家】田島氏・門川氏・木脇氏
【本姓】藤原南家為憲流工藤氏
【略歴】工藤祐経の子・伊東祐時が源頼朝に仕えて日向国の地頭職を与えられ、以後庶子家を分出しながら発展。南北朝時代、伊東祐持は下向して北朝方に属し、室町時代、島津氏と抗争を繰り返しながらも版図を拡大。戦国大名となった伊東氏は、義祐の時、島津氏を圧倒し、佐土原城を本拠に四十八の支城を擁して最盛期を迎えたが、1572年、木崎原の戦いで島津義弘に大敗、のち日向を逃れ、伊東氏は一時的に滅亡。しかし、伊予国に逃れた義祐の次男・祐兵が、のちに豊臣秀吉に仕え、1587年、九州征伐の際に道案内役を務めた功績により、翌年日向国飫肥で伊東氏を再興。関ヶ原合戦では東軍に属して所領を安堵され、江戸時代、日向向飫肥5万1000石の藩主となって存続。明治17年、子爵となる。なお、天正遣欧使節の一員としてローマ教皇に拝謁した伊東マンショは伊東氏の一族。