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少弐(筑前)

しょうに【大名】


[少弐(筑前)]
【本拠地】筑前国
【家祖】武藤資頼
【支流・分家】筑紫氏・鍋島氏など
【本姓】藤原北家秀郷流
【略歴】藤原秀郷の子孫と称する武藤頼平の子・資頼が、源頼朝によって九州大宰府の次官である大宰少弐に任じられ、官職名を姓とし、以後代々世襲する。鎌倉時代、文永・弘安の役で資能は子の経資・景資兄弟とともに活躍。南北朝時代には、貞経が後醍醐天皇方から足利尊氏方に転じ、筑前・豊前・肥前の守護大名をつとめる。室町時代、九州探題の支援を得た大内氏や菊池氏に圧迫され、次第に衰退。1433年、満資が大内持世の攻撃を受けて戦死、大宰府を失う。のち、政資の時に豊後の大友氏の支援を得て大宰府は奪回するも、1559年、冬尚の時、かつての家臣であった龍造寺氏に敗れて自害し、名族・少弐氏は完全に滅亡。