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山名(但馬・因幡)

やまな【大名】


[山名(但馬・因幡)]
【出身地】上野国多胡郡山名(現・群馬県高崎市山名町)
【本拠地】但馬国・因幡国
【家祖】山名義範(山名三郎)・・・新田氏の祖・義重の長男で、本宗を継承せず上野国多胡郡山名郷に住んで山名氏を称したことに始まる。
【本姓】清和源氏新田氏流。
【略歴】鎌倉時代、山名義範は源頼朝に近侍。鎌倉末期の1333年、山名時氏は足利尊氏の挙兵に従って戦功を立て、伯耆国守護となり、山陰に勢力を伸ばした。さらに観応の擾乱を経て、因幡・丹波・但馬・美作の守護職を得て、14世紀末頃までに一族で十一ヶ国の強大な守護大名となり「六分一殿」と称され、幕府から自立する傾向を強めた。1391年、有力守護の力を警戒した将軍足利義満によって明徳の乱が勃発した結果、但馬・因幡・伯耆の三ヶ国守護職に激減したが、時義の子で惣領家を継いだ時熙が重用され、また1441年の嘉吉の乱で赤松氏を討って再び同程度にまで領国を回復し、細川氏と並ぶ勢力を誇った。山名持豊(宗全)が西軍の総帥をつとめた1467年の応仁の乱後は、勃興した勢力によって徐々に領国が侵食され、戦国末期の所領は本宗である但馬と因幡だけとなった。因幡国の豊国は豊臣秀吉に降伏、その後は徳川家康に仕え、江戸時代は但馬国内で知行を与えられて存続した。