修正依頼



内藤(丹波)

ないとう【大名】


[内藤(丹波)]
【本拠地】丹波国船井郡八木(現・京都府船井郡八木町)
【家祖】鎌倉時代、内藤盛俊の子で源頼朝に仕えた盛家が先祖にあたるという。
【本姓】藤原北家秀郷流を称する
【略歴】細川氏の被官であったとされ、1431年、内藤信承?が丹波守護代に就任し、船井郡八木に根拠を構えた。1482年元貞が守護代を罷免されるなど、守護代罷免・復任劇を繰り返し、のち、細川氏から独立。16世紀初頭、八上城を根拠とした波多野氏が台頭、国貞の時、細川晴元方と結んだ波多野晴通に攻められ、三好長慶と組んで八木城で抵抗したが戦死、戦国大名としての内藤氏は事実上滅んだ。 国貞の遺児・貞勝が、キリスト教を信仰してマニラに追放されたキリシタン大名・内藤如安。