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池田(摂津)

いけだ【大名】


[池田(摂津)]
【出身地】美濃国池田郡池田荘?(現・岐阜県池田郡池田町)
【本拠地】備前国岡山、因幡国・伯耆国鳥取
【家祖】池田恒利。1351年に龍徳寺を建立した池田教依は祖先というが不詳。
【本姓】紀氏?清和源氏(源頼光)の子孫と自称するが不詳。(近世大名の美濃池田氏は摂津池田氏の支流にあたるという説がある)。
【略歴】室町時代、豪族池田教依が築いたとされる池田城に拠って国人領主として活躍したとされ(不詳)、永禄年間に、池田恒利が尾張に移って織田信秀に仕えた。その子・恒興(信輝)も織田信長に仕え、信長の死後、清洲会議では宿老四人の内の一人として重責を荷うところまで一家を興した。のち豊臣秀吉に仕え、美濃国大垣城主13万石を領したの後、東海道の抑えとして三河国吉田城15万石を賜った。恒興の次男・輝政は徳川家康の娘婿となって家康に従い、関が原の合戦では東軍に属して、戦後播磨国姫路で52万石を領して、姫路城を現在残る姿に大規模に修築。子孫は、備前国岡山、因幡国鳥取などを領して明治まで続いた。