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北畠(伊勢)

きたばたけ【大名】


[北畠(伊勢)]
【本拠地】伊勢国多気(現・三重県多気郡多気町)
【家祖】北畠雅家(中院雅家)・・・村上源氏の流れを汲む中院通方を父に持った名家出身で、洛北の北畠に住んだことから北畠氏を名乗ったことに始まる。
【支流・分流】浪岡氏・大河内氏・木造氏。
【略歴】代々和漢の学をもって天皇に仕えたという公家であったが、北畠親房が後醍醐天皇の建武の新政を支え、南朝の軍事の中心的人物となり、子孫は武士化した。親房の三男北畠顕能が1335年に伊勢国司となって下向したことが、伊勢の北畠氏の起源とされる。以後伊勢で勢力を保持し、国司を世襲することで体制を維持した。戦国時代、北畠晴具の時に最盛期を迎えたが、1576年その子・具教の時に織田信長に敗れて滅亡。