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長野(上野)
ながの【大名】
[長野(上野)]
【出身地】上野国長野郷(現・群馬県西部)
【本拠地】上野国長野郷(現・群馬県西部)
【家祖】在原業平?…平安時代の貴族で、六歌仙、三十六歌仙の一人、歌人として有名な人物で伊勢物語の主人公とも言われるが、武家・長野氏が貴人を祖とするのに疑問もある。
【本姓】在原業平の後裔を称するが物部氏系の石上姓を名乗っていたとも伝わる。出自は不明だが、古代からの上野国の豪族とされる。
【略歴】長野氏が歴史に登場すのは永享の乱後の結城合戦(1440年)以降で、それ以前の動向は判然としないが、鎌倉期は非御家人の在庁官人と考えられている。戦国時代中期まで上野国西部の豪族を取りまとめて「箕輪衆」を結成し、上杉氏・長尾氏に仕えていたが、1541年、厩橋城主・長野賢忠が深谷上杉憲賢・那波宗俊・成田親泰・佐野昌綱とともに金山城主横瀬泰繁を攻めて敗退した後、厩橋城は北条高広に与えられ、厩橋長野氏・大胡長野氏は没落した。一方、箕輪城主となった長野氏は憲業のとき西上野方面へ本格的に進出し、憲業の次男・業正(業政)のときに姻戚関係を通じて強大な勢力となったが、武田氏は小幡氏・安中氏・後閑氏などの周辺諸氏を勢力下に置いて箕輪城の孤立化を図り、1566年に業正の子・氏業が敗れ自害、箕輪長野氏は滅亡した。また支城・鷹留城には業正の兄・三河守業氏が入り、その子孫は鷹留長野氏と呼ばれるが、箕輪城落城の時に城主・業通は越後に落ち延び、鷹留長野氏は離散して没落した。業正の子・業親の子に伝蔵(業実、業真)という者がいて、武田氏の滅亡後は井伊氏に仕え4千石を得たという。
【著名人】長野業正…上州の黄班(虎)と呼ばれる猛将で、武田信玄の6回に及ぶ上野侵攻を全て撃退した戦国時代の武将。天下無双と名高い新陰流の祖・上泉信綱は業正と子・業盛に仕えた長野家十六槍の一人で、上野国一本槍と称されたという。戦国時代を代表する剣豪・柳生宗厳、丸目蔵人佐、宝蔵院胤栄、疋田文五郎らは彼の弟子であり、信綱は剣聖と謳われている。
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