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薩摩国造(薩摩)

さつまのくにのみやつこ【国造】


[薩摩国造(薩摩)]
薩摩国造は薩摩国(現・鹿児島県西部)を支配したとされ、国造本紀(先代旧事本紀)によると景行天皇(12代)の時代、薩摩隼人(はやと)等を討ち鎮定し、仁徳天皇(16代)の時代に日佐(おさ、長?)を改め、直(あたい)としたことに始まるとされる。歴史的には大隅国造と同様、熊襲・隼人族の支配した地域であり、薩摩隼人は勇猛なことで知られ、国造成立後も10世紀あたりまで反乱が続いたという。国造氏族としては薩摩君(さつまのきみ)が有力であり、他に大豪族の存在が認められない。というのも川内川周辺には隼人の墓とされる「地下式板石積石室」形式の古墳が多く残されているように隼人の勢力が強大で、豪族が財を蓄える余力が無かったのかもしれない。