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比多国造(肥)

ひたのくにのみやつこ【国造】


[比多国造(肥)]
比多国造は比多国(現・大分県日田市周辺)を支配したとされ、国造本紀(先代旧事本紀)によると成務天皇の時代、葛城国造と同祖である止波足尼(とはのすくね)を国造に定めたことに始まるとされる。古く日田地方には日田盆地中南部を本拠とする日下部君(くさかべのきみ)一族があり、比多国造となった可能性も高いという。また延喜式には荒田直(あらたのあたい)の住んだ場所なので荒田と名付いたとあり、姓氏録にも荒田直は高魂命(たかむすびのみこと、高皇産霊尊)の5世孫である剣根命(つるぎねのみこと)の後、とある。神武天皇紀・国造本紀には剣根命は葛城国造、比多国造等の祖である、と書かれており、統合すると、止波足尼は初代葛城国造・剣根命の子孫に当たる人物と考えられている。
天瀬町五馬高原には豊後国風土記に記された土蜘蛛・五馬媛(いつまひめ)の伝説があり、日田・天瀬町五馬の境界にある宇土古墳の3号墳では合計5体の人骨が検出され、そのうち3体は女性で、成人女性首長とその弟の順に埋葬されたことが明らかであるという。更に5体の人骨は血縁関係にあるとされ、墳墓の規模からも五馬媛の伝承と関連があると考えられている。