和文フォントで素材やテンプレ作成
和文フォント・筆文字フォントの購入
- 47局 お国自慢BBS
- 都道府県イメージマップ
- 日本ランキング
- クイズ日本一周
- 各種一覧
- 生活便利帳
- 日本生物Mini Gallery
- 日本昔話
- 今月の日本物語レポート
- 徒然筆文字集
- 筆文字フォント商品
大分国造(肥)
おおいたのくにのみやつこ、おおきだのくにのみやつこ【国造】
[大分国造(肥)]
大分国造は大分国(現・大分県大分市、大分川流域)を支配したとされ、国造本紀(先代旧事本紀)の国造名列記の項には欠落して名が無いが、火国造の項には大分国造と同祖とあり、また天孫本紀には高屋大分国造との名が見え、日本書紀によると神武天皇(初代)の頃に国造が設置されたようであるが、場所も国造系譜も定かではない。
大分国造の系譜を引くのは大分君(おおきだのきみ)であるとされ、記紀等に見える地方豪族で、古事記の神武記には神武天皇の子・神八井耳命(かむやいみみのみこと)を祖とし、その第2子で火君・阿蘇君・筑紫連三潴と兄弟である建弥阿久良命(たけみあくらのみこと、建彌阿久良命)が初代(高屋)大分国造だろうと考えられている。
日本書紀の天武即位前紀に登場する大分恵尺(おおきだのえさか)、大分稚臣(おおきだのわかおみ)は、壬申の乱での活躍で有名な大分一族であり、大分市三芳にある古宮古墳は恵尺か稚臣どちらかの墓であろうと言われている。また蓬莱山古墳・千代丸古墳・丑殿古墳等の大古墳も同地域に存在するが、大分市木ノ上にある御陵古墳の被葬者は大分君宗家の墳墓だとも言われている。
$keyword = '大分国造(肥)'; $id = 263377; include_once('/home/nihonjiten/public_html/amazon/amazon.php'); ?>