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怒麻国造(伊予)

ぬまのくにのみやつこ【国造】


[怒麻国造(伊予)]
怒麻国造は怒麻国(現・愛媛県今治市西部)を支配したとされ、国造本紀(先代旧事本紀)によると仲哀天皇(14代)の后・神功皇后摂政の時代、阿岐国造の祖・飽速玉命(あきはやたまのみこと)の3世孫である若彌尾命(わかみおのみこと、若弥尾命)を国造に定めたことに始まるとされる。怒麻国は後に野間郡になり乃万・濃満・濃万等の表字も用いているが、怒麻国の音から野間となったことは疑いがないという。また愛媛県今治市大井周辺は古墳も多く、怒麻国の国府があったと考えられている。
愛媛県今治市神宮にある野間神社は初代怒麻国造・若弥尾命が、祖である飽速玉命を奉斎したことに始まる神社と考えられている。