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野宮(羽林家/藤原北家花山院流)

ののみや【公家】


[野宮(羽林家/藤原北家花山院流)]
藤原北家花山院流。左大臣・花山院定熈の次男・忠長が花山院家より分家して興した羽林家家格の公家。花山院忠長が猪熊事件によって慶長14年(1609)に蝦夷地(北海道)へ流罪になったことから、後水尾天皇の意向で祖父の養子として野宮家を創立したもの。歴代の当主は朝議に参与した者が多く、また、日記など数多くの記録を残している。明治17年に野宮定穀が子爵となった。