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広幡 ( 清華家/正親町源氏 )

ひろはた【公家】


[ 広幡 ( 清華家/正親町源氏 )]
正親町天皇の孫・智仁親王の三男・忠幸が臣籍降下して廣幡を号したのが始まり。正親町源氏家系の清華家である。家名は、家忠が花山上皇の御所だった東一条第(花山院)を譲り受けたことにちなむ。明治維新後は、忠朝は侍従を務め、忠隆は逓信省に入って灯台局長、管船局長を務め、さらに皇后宮大夫兼侍従次長を務めた。