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今出川 ( 清華家/閑院家 )

いまでがわ【公家】


[ 今出川 ( 清華家/閑院家 )]
藤原北家閑院流。西園寺実兼の四男・兼季が祖の清華家。故実拾要によると、大納言の時までは「菊亭」を称し、大臣以後に「今出川」と称したといい、明治以降には再び菊亭に改姓。琵琶を家業とし、江戸時代には摂家である鷹司家の1500石を上回る1655.8石の家禄を有した。家名は居所から今出川と称したが、一方では邸宅に菊花が多数植えられていたことから菊の亭と呼ばれ、自らも菊亭とも称した。また、江戸前期に右大臣を務めた晴季は、朝廷における斡旋、調停役を務めたことで知られる。