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吉備穴国造 ( 吉備 )

きびあなのくにのみやつこ【国造】


[吉備穴国造 ( 吉備 )]
吉備穴国造は吉備穴国(広島県福山市周辺)を支配したとされ、国造本紀(先代旧事本紀)によると景行天皇(12代)の時代、和邇臣(わにのおみ)と同祖・彦訓服命(ひこくにふくのみこと、彦國葺命)の孫である八千足尼命(やちのすくねのみこと、八千宿禰命)を国造に定めたことに始まるとされる。安那氏(あなし)が国造の系譜を引くと考えられ、新撰姓氏録にも安那公は天足彦国押人命の3世孫・彦國葺命の後裔とされている。和爾氏系図では八千足尼は考昭天皇の子・天足彦国押人命の子孫であり安那公・大阪臣の祖とされ、古事記にも天足彦国押人命は阿那臣の祖と記されている。同じ吉備の名を関する国造であっても吉備一族とは異なった祖先伝承を有することから、吉備一族の権力の衰退に伴う周辺首長の自立・並存が窺い知れる。ちなみに福山市神辺町にある迫山古墳は国造が自らの力を示すべく作られたと伝えられ、神辺平野の巨大な古墳は安那氏の墓と推定されている。