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下道国造 ( 吉備 )

しもつみちのくにのみやつこ【国造】


[下道国造 ( 吉備 )]
下道国造は下道国(現・岡山県総社市・倉敷市周辺)を支配したとされ、国造本紀(先代旧事本紀)によると応神天皇(15代)の時代、元から下道国の領主をしていた兄彦命(えひこのみこと)、別名・稲速別命(いなはやわけのみこと、稲建別)を国造に定めたことに始まるとされる。日本書紀によると吉備津彦命の後裔であり応神天皇の皇妃・兄媛(えひめ)の兄である御友別命(みともわけのみこと)の長子・兄彦が下道国を分与されて吉備臣・下道臣の祖となったとされる。後の463年の下道臣前津屋の反乱、雄略天皇崩御の479年の星川皇子の変による吉備氏族の反乱鎮圧後、吉備氏の権力は消滅したという。 下道国造家後裔・吉備朝臣真備は留学生として入唐した後は朝廷内の重臣として従二位右大臣まで昇格したため、これ以降は吉備朝臣姓を賜り改称したという。 岩屋権現とも称される広島県福山市山野町にある多祁伊奈太伎佐耶布都神社の祭神は下道国造・兄彦命とされており、また岡山県矢掛町には下道氏の墓とされる史蹟公園があり、吉備朝臣真備公の顕彰石碑がある。