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三野国造 ( 吉備 )

みぬのくにのみやつこ【国造】


[三野国造 ( 吉備 )]
三野国造とは三野国(現・岡山県岡山市、加賀郡周辺)を支配したとされ、国造本紀(先代旧事本紀)によると応神天皇(15代)の時代に弟彦命(おとひこのみこと)を国造を定めたことに始まるとされる。日本書紀によると吉備津彦命の後裔であり応神天皇の皇妃・兄媛(えひめ)の兄である御友別命(みともわけのみこと)の末子・弟彦が三野国を分与されて三野臣の祖となったとされる。後の雄略天皇崩御の479年、後継を巡る星川皇子の変によって吉備氏族に反乱が起こり、鎮圧後は吉備氏の権力は消滅したという。三野臣氏は備前一宮である吉備津神社を奉斎したことから後に社家・大森氏(後に大守氏に改姓)を輩出しているが、早くに武家に転じたとされる。系図によると三野臣の後裔とするもの、田使姓難波氏の一族、藤原支流、など諸説があるという。