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意岐国造 ( 隠岐 )

おきのくにのみやつこ【国造】


[意岐国造 ( 隠岐 )]
意岐国造とは島根県に属する住民島4つと180の無人島よりなる意岐国(現・島根県隠岐郡)を支配したとされ、国造本紀(先代旧事本紀)によると応神天皇(15代)の時代、孝昭天皇(観松彦香殖稲命、みまつひこかえしね)の弟とも言われる観松彦伊呂止命(みまつひこいろとのみこと、観松彦色止)の5世孫である十挨彦命(とおえひこのみこと)を国造に定めたことに始まるとされる。また9世孫である韓背足尼(からせのすくね)が長国造(徳島県阿南市、那賀郡周辺)となり、徳島県名東郡にある御間都比古神社に祖神・観松彦伊呂止命を奉祀したと伝えられている。 意岐国造は大国主命の後裔を称する意岐(隠岐・億伎)氏が世襲し、系図は明確でない部分も多いが、古くから隠岐国の玉若酢神社の神職を務めた。国造本拠地は隠岐国府の式内社・和気能須命神社であり隠岐国総社とされていたが、玉若酢神社が総社と呼ばれるようになったという。