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出雲国造 ( 出雲 )

いずものくにのみやつこ【国造】


[出雲国造 ( 出雲 )]
出雲国造は古く出雲国(現・島根県東部)と意宇郡郡司を兼任する巨大な勢力を有した国造とされ、国造制が廃止されても存続を許され、朝廷で「出雲国造神賀詞(かんよごと)」を奏上する儀礼を代々行うなど、他の国造とは異なる特殊な立場にあったという。古事記・日本書紀にある大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲神話に応じ、大国主命を最初に祀った天穂日命(あめのほひのみこと、天之菩卑能命・天菩比神)を始祖とし、国造家は出雲氏が代々継いできたが、途中から千家氏・北島氏の二氏に分かれ、祭祀も分担した。また国造本紀(先代旧事本紀)によると崇神天皇(10代)の時代に天穂日命の11世孫である宇賀都久怒(うかつくぬ)を国造に定めたとされるので、神話と史実の境界がこの辺りにあるとする見方もある。なお国造の代替わりの儀式「火継式」は出雲大社・熊野大社・神魂神社で行われており、貴重な古式を今に伝えらているという。