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高志深江国造 ( 越 )

こしのふかえのくにのみやつこ【国造】


[高志深江国造 ( 越 )]
高志(古志)深江国造は高志深江国(現・新潟県十日町市周辺)を支配したと言われ、越地方最北、日本海側最北の国造であったと考えられている。国造本紀(先代旧事本紀)によると崇神天皇(10代)の時代、大彦命の孫であり信濃川・阿賀野川河口地域の豪族であった素都乃奈美留命(そつのなみるのみこと)を国造に定めたことに始まるとされるが、能登国造・加宜国造と同祖との説によると道臣(みちのおみ)と同祖となり安部氏族であるという。素都乃奈美留命は角田山界隈の開拓に尽力し、蝦夷を多く帰依させたとの説話がある。新潟市西蒲区巻町の福井には船上神社があり、初代国造・素都乃奈美留命を祭神としている。また同地区にある菖蒲塚古墳は地方首長の墓と考えられ、一説には高志深江国造の墓とも言われている。