修正依頼



羽咋国造 ( 越 )

はくいのくにのみやつこ【国造】


[羽咋国造 ( 越 )]
羽咋国造とは、羽咋国(現・石川県羽咋市・羽咋郡)を支配したと言われ、国造本紀(先代旧事本紀)によると雄略天皇(21代)の時代、三尾君の祖であり垂仁天皇(11代)の皇子・石衡別命(いわつきわけのみこと、磐衝別・石撞別・伊波都久和希)の子である石城別王(いわきわけおう、磐城別・偉波智和希)を国造に定めたことに始まるとされる。羽咋市川原町にある羽咋神社は羽咋君(はくいのきみ)縁の神社と言われ、神社の由緒や「古事記」「日本書紀」「新撰姓氏録」等にも羽咋君の祖について同様の記述があるという。 羽咋市の「七塚」と呼ばれる古墳群は古くから知られ、大塚(御陵山)・大谷塚・姫塚・宝塚・痛子塚・水犬塚・剣塚に比定され、石衡別命一族の墳墓とされている。大塚は石撞別命の墓、大谷塚は石城別命の墓と言われており、宮内庁の陵墓参考地となっている。