修正依頼



能等国造 ( 越 )

のとのくにのみやつこ【国造】


[能等国造 ( 越 )]
能等国造とは能等国(現・石川県七尾市、鹿島郡周辺)を支配したと言われ、国造本紀(先代旧事本紀)によると成務天皇(13代)の時代、の皇子・垂仁天皇(11代)の皇子・大入杵命(おおいりきのみこと、大入来命)の孫である彦狭嶋命(ひこさしまのみこと)を国造に定めたことに始まるとされる。能登半島は羽咋国造と能等国造の2つが存在したとされ、地名からも現・羽咋地域と能登地域を支配したと考えられており、718年に越前国から能登郡・羽咋郡・鳳至郡・珠洲郡を分立させて誕生したという。しかし記述が曖昧で不明な部分が多く、同じ国造本紀(先代旧事本紀)でも仁徳天皇(16代)の時代に能登国造と同祖・素都乃奈美留命(そつのなみるのみこと)を加宜国造に定めたとあり、高志深江国造(新潟)とも同祖であるという。「日本書紀」には彦狭嶋(日子寤間)命は孝霊天皇(7代)の子とされており、年代にも差が生じている。 七尾市の矢田高木森古墳・矢田丸山古墳・院内勅使塚古墳等は能登臣(のとのおみ)一族に関連する墓とされており、中能登町にある親王塚古墳は能登国造の祖・大入杵命の墓として陵墓に指定されて宮内庁の管轄になっている。