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江沼国造 ( 越 )

えぬま(えぬ)のくにのみやつこ【国造】


[江沼国造 ( 越 )]
江沼国造とは江沼国(現・石川県加賀市周辺)を支配した国造とされ、反正天皇(18代)の時代に蘇我臣(そがのおみ)の祖・武内宿禰(たけうちのすくね)の4世孫である志波勝足尼(しわのかつのすくね)を国造に定めたことに始まるとされる。武内宿禰の7人の子らは葛城氏・平群氏・蘇我氏・巨勢氏・紀氏・波多氏・江沼氏の祖と言われており、古事記では武内宿禰の末子である若子宿禰(わかごのすくね)が江野財臣(えのたからべのみやつこ)の祖と記され、姓氏録では江沼臣の祖と記されている。若子宿祢家は射水臣・利波臣と同族とも記されていることから江沼臣・続く余奴臣(江沼国の後身である与野評の氏族)・江野財臣等も含め北陸の氏族は同じ系統と見なされている。しかし日本書紀等には道君(加賀国)と江沼臣の不仲を思わせる記述があり、古くから隣接する国同士で利権争い等も多かったと見られている。なお江沼古墳群の被葬者層は江沼臣一族と考えられている。