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若狭国造 ( 若狭 )
わかさのくにのみやつこ【国造】
[若狭国造 ( 若狭 )]
若狭国造は若狭(若佐)国(現・福井県南西部)を支配したと言われ、国造本紀(先代旧事本紀)によると允恭天皇(19代)の時代に膳臣(かしわでのおみ)の祖・佐白米命(さしろめのみこと)の子である荒礪命(あらとのみこと、荒砺命)を国造に定めたことに始まるという。国造は膳(かしわで)氏が世襲し、料理の祖神であり景行天皇の皇子・磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと、伊波我牟都加利命)を祖とし、古くから若狭国は天皇の食膳を貢納する「御食国(みけつくに)」であった。日本書記によると履中天皇(17代)から膳臣余礒(かしわでのおみあれし)が稚桜部臣(わかさくらべのおみ)と名を賜ったことから若狭と名付けられた説、渡来人が年を取らず若かったことから「和加佐」と命名された説等、古くから若狭と名が付けられているが由来は定かではない。遠敷郡上中町の脇袋・天徳寺古墳群の被葬者は若狭国造や膳臣一族であろうと言われており、脇袋の上ノ塚古墳・西塚古墳・中塚古墳の3つは原形をよく留めており、出土品からも被葬者の権力を窺い知ることができる。
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