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道奥菊多国造 ( 陸奥 )

みちのおくのきくたのくにのみやつこ【国造】


[道奥菊多国造 ( 陸奥 )]
道奥菊多国造は菊多国(現・福島県いわき市周辺)を支配した国造と言われ、応神天皇(15代)の時代に天津彦根命(あまつひこねのみこと)の後裔で茨城国造の祖・多祁許呂命(たけころのみこと、建許呂命)の子である屋主乃禰(やぬしのね、屋主刀禰)を国造に定めたことに始まるとされる。菊田氏が国造を世襲したとされ、称平姓磐城一族の菊田氏はその末裔と見られている。茨城県との県境に位置する勿来関(なこそのせき)は奥州三古関の1つで古く菊多関と呼ばれ、隣接する蝦夷の南下を防衛した地とされ、また菊多軍衙跡等からも軍国として菊多国造が力を有したことを物語っている。いわき市の国魂神社は菊多国造が創祀した神社と伝えられている。