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那須国造 ( 下野 )

なすのくにのみやつこ【国造】


[那須国造 ( 下野 )]
那須国造は那須国(現・栃木県大田原市周辺)を支配したと言われ、国造本紀(先代旧事本紀)によると景行天皇(12代)の時代に八井耳の弟・建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと、武渟川別命又は建沼河命)の孫である大臣命(おおみのみこと)を那須国造に定めたことに始まるとされる。古来あった毛野国が仁徳天皇から孝徳天皇の治世に上毛野国・下毛野国に分裂し、後に下毛野国が那須国を併合したことで那須国は消滅した。阿倍氏と同祖とされる那須直(なすのあたい)が国造を世襲して一帯を支配したという。湯津上村にある笠石神社には那須国造碑が御神体として祀られ、那須直韋提(なすのあたいいで)の功績を152文字で石碑に刻まれている。水戸光圀公の命で解読・保存がなされたため、日本三古碑の中で最古の重要なものとして唯一国宝の指定を受けている。