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上毛野国造 (上野 )

かみつけぬのくにのみやつこ【国造】


[上毛野国造 (上野 )]
上毛野国造は上毛野国(現・群馬県)を支配したと言われ「日本書紀」によると崇神天皇(10代)の皇子・豊城入彦命(とよきいりびこのみこと、豊木入日子)が東国統治を命じられて彼の地に来て上毛野国造・下毛野国造の祖になったとされるが、古来の毛野国が仁徳天皇から孝徳天皇の治世に上毛野国・下毛野国に分裂したという。北は蝦夷地であり代々東国統治を担当し、度々蝦夷と交戦しており、景行天皇(12代)の時代、豊城入彦命の孫・彦狭嶋王(ひこさしまのみこ)は東山道十五国都督に任じられ、初めて東方十二国を治平したとされる。絶大な勢力を誇った豪族・上毛野君(かみつけぬのきみ)が国造を世襲したと言われ、東日本最大規模を誇る太田市の太田天神山古墳等、多数の古墳の存在から、大和政権とは別に一大国家を築いていたのではとの説もある。