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斐陀国造 ( 飛騨 )

ひだのくにのみやつこ【国造】


[斐陀国造 ( 飛騨 )]
斐陀(飛騨・斐太)国造は飛騨国(現・岐阜県高山市・飛騨市・下呂市周辺)を支配したと言われ、国造本紀(先代旧事本紀)によると成務天皇(13代)の時代に天火明命(あめのほあかりのみこと)の後裔(4世孫)で尾張連(おわりのむらじ)の祖・瀛津世襲命(おきつよそのみこと)の子である大八椅命(おおやつはしのみこと)を国造に定めたことに始まるされる。物部・尾張氏等と同系と見られる斐陀氏が国造を世襲したとされ、高山市にある飛騨一宮・水無神社の祭神は天火明命の別名との説もある。飛騨地方の5百余の古墳のうち384基が高山市国府町に集中しており、が発見され冬頭王塚(ふいとうおうづか)古墳は飛騨国造の墳墓と推定されている。「日本書紀」の中の両面宿儺(りょうめんすくな)の乱で、斐陀国造・飛騨国の様子が史実上初めて登場する。