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无邪志国造 ( 武蔵 )

むさしのくにのみやつこ【国造】


[无邪志国造 ( 武蔵 )]
无邪志(武蔵・無邪志)国造は武蔵国東部(現・埼玉県・東京都境界周辺、荒川流域)を支配した国造とされ、成務天皇(13代)の時代、出雲臣(いずみのおみ)の祖・二井之宇迦諸忍之神狭命(ふたいのうかもろおのかむさのみこと)の十世孫である兄多毛比命(えたもひのみこと)を国造に定めたことに始まるとされる。6世紀、国造の地位を巡って武蔵国造の乱が起こり、上毛野国・胸刺国を破った无邪志国が強大な勢力となったとも言われ、埼玉古墳群の大豪族であるという。大化の改新以降は无邪志(むざし)・胸刺(むざし)・知知夫(ちちぶ)が1国になり武蔵国になり、国府は現・東京都府中市にあったという。ちなみに芝丸山古墳(現・東京都港区芝公園)は初代无邪志国造・兄多毛比命の墓という説もある。