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珠流河国造 ( 駿河 )

するがのくにみやつこ【国造】


[珠流河国造 ( 駿河 )]
珠流河国造・駿河国造(現・静岡県東部)は駿河国東部を支配した国造で、成務天皇(13代)の時代に物部連(もののべのむらじ)の祖・大新川命(おおにいかわのみこと)の子である片堅石命()を国造に定めたことに始まるとされる。駿河国は駿州(すんしゅう)とも呼ばれ、大化改新以降、珠流河国造と廬原国造(現・静岡県中部)の領域とを併せ、また伊豆半島・伊豆諸島(後の伊豆国)を含む広大な領地だったという。須流加・須留可・薦河等とも表記されるが、語源は明確には分かっておらず、山から海に落ちる険しい川の意を有することからというのが一般的である。珠流河国・盧原国が一つになり、更に7世紀の後半、「駿河」の名で統一され、681年には伊豆国が分離し、駿河国は駿河・富士・盧原・安倍・有度・益頭・志太の7郡になり、国府・国分寺は静岡市におかれたという。